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塾長BLOG

Nishioyoshihiko

恩人の訃報。

2019.2.17 / 塾長BLOG

今朝、福岡時代のバンド「ウ゛ォイス」のリーダーの井上修さんが亡くなられたとの訃報が届いた。

僕は音楽人生において井上さんに3回も救ってもらった。
一度目は唐津でやってたバンドから見捨てられて途方に暮れていた時、知人から井上さんを紹介してもらいまたバンド活動が出来るようになった事。
結果そのバンドでデビューした。
2回目は音楽塾ウ゛ォイスを立ち上げる時。
かなり無理を言って機材を調達してもらった。
3回目は2005年に中洲のホテルイルパラッツオでウ゛ォイスライブをやった時。
ビアンコネロのお陰で集まった一般のオーディエンス450人とわざわざ東京から来て下さったソニー、ワーナーのトップ、大手事務所関係者を招いてのライブは絶対に失敗出来ない節目の大舞台だった。
結果は大成功。
間違いなくあのライブから潮目が変わった。
あとで分かったのだけど資金に乏しい僕を気遣い自分のギャラはゼロ円で良いので会場使用料のみで使わせてくれるようホテル側に頼みこんでくれたらしい。
そのお陰で無事に開催できた。
自己中で大問題児だった僕をずっと見捨てずに根気強く見守ってくれた。

いつも「お前は何とかなりそうだからもっと洋楽rockを聴いて勉強してみい」と。
「毎回勘と勢いだけで作っとろ?」、「だけんまあまあの曲ばっかりぜ」、「それじゃプロは厳しかばい」と。
完全に見抜かれてた。図星だった。
あと、オーディションに受からず思い通りに進まない現状に苛立ち、練習でメンバーに八つ当たりしてしまった時家に呼ばれて

「お前は一人でバンドやっとるつもりか?なんや今日のあの態度は?つまらんばい。俺も一緒におってやるけん今度みんなに謝まっとき」

と叱られた。悔しくて恥ずかしくてその場にいられなかった。
誰の言うことも聞かなかったけど井上さんの厳しい言葉だけは何故か心に響いた。
その後大した才能も腕もないくせに調子に乗って一人上京して・案の定全く通用せずにノコノコ帰ってきた時もあの笑顔で温かく迎えてくれた。
井上さんが30年前に「言葉や音の響きを大事にしていきたい」と名付けたバンド名「ウ゛ォイス」。
今も大事に使わせてもらってます。
あの時あなたが僕に音楽を一から教えてくれたから。根気強く丁寧に何度も何度も教えてくれたから。
言いにくいこともズバッと例えば・人としての在り方も教えてくれた。
そのお陰で今も音楽がやれています。
うん、間違いないです。井上さん、あの時の駒しゃくれた若造の事はずっと心配だったでしょ?。
ごめんなさいね。
何回も窮地を救ってもらいました。
本当にありがとうございました。

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